僕の歩んできた道
- m-udo6
- 10月1日
- 読了時間: 3分
Sillageのシェフ、宗定和輝です。
この度、私がSillageのシェフに就任するにあたって、今までの経歴をお話ししたいと思います。

岡山から淡路、そして神戸へ。
私は瀬戸内の恵みが豊かな岡山県で生まれ、高校卒業後は料理を極めたい一心でそのまま地元の調理師学校へ進学しました。
そこで調理の“基礎の基礎“、包丁の持ち方から出汁の採り方、魚のさばき方まで一通り学びました。
料理人としてキャリアをスタートしたのは、淡路にある「ウェスティンホテル淡路」でした。
ここでは“料理人”、“社会人”として大切なことを教えていただきました。
新人の雑用からはじまり、ホテルという様々な年齢の先輩方がいる環境で礼儀や基礎的な調理技術を習得しました。
料理人として、一人の大人として今の自分の基礎を作ってくれたのは間違いありません。
転機は、神戸北野ホテルでロワゾーのフレンチに出会ったとき。
あの瞬間に「自分もこんな料理がしたい」と心の底から思いました。

さらなる高みを目指して渡仏
もっと知りたい、もっと深く学びたい。その思いだけで渡仏を決意し、南フランス・ニームのミシュラン一つ星「Jérôme Nutile」の厨房に飛び込みました。3年間、M.O.F.シェフ ジェロームのもとで学んだのは、ただ料理の技術だけではなく「素材をどう見つめるか」という姿勢でした。
はじめは、言葉も分からない“異国人”という扱いだったのでシェフの求めているクオリティに応えられず、殴られてばかりでした。
でも、そうやって少しずつ言葉を覚え、ひとつずつ仕事ができるようになってくると周囲も認めてくれ、最後の一年間はジェロームで日本人初のスーシェフに抜擢されました。
その後、コロナウイルスにより世界でパンデミックが起き、私のいたフランスも当然ロックダウンし、仕事が思うようにできなくなり帰国せざるを得なくなりました。

L'ARGENT 加藤シェフとの出会い
帰国後は東京「L'ARGENT」で加藤シェフのもとへ。ここでは「料理に向き合う真摯さ」をさらに違う視点から学びました。素材選びから最後の一皿を仕上げるまで、決して妥協しない。その背中を見て、僕は「料理人としてどうありたいか」を突きつけられた気がします。

Sillageでの挑戦
そして今、Sillageという新しい場所で、これまで積み重ねてきたものを表現できるチャンスをいただきました。正直、プレッシャーも大きいです。自分の料理がどれだけ通用するのか、まだ怖さもあります。でも同時に、今までの自分を超えていくしかないと強く感じています。
このブログでは、オープンまでの準備の裏側や、新しい皿ができるまでの葛藤、日々のちょっとした気づきなんかも書いていきたいです。レストランに来てくださるお客様にはもちろん、まだ見ぬ誰かにも、僕「宗定和輝」という人間を少しでも知ってもらえたら嬉しいです。



コメント